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August 06, 2004

輸入権の〈これまで〉と〈これから〉

 タワーレコードのフリーマガジン「bounce」のオンライン版「bounce.com」から。津田さんが記事を書き、高橋健太郎さんのインタビューを収録している。注目は、健太郎さんの発言で以下の部分:
〈還流盤の定義〉も、日本に原盤があるCDだけなのかと思っていたら、どうやらそれもあやしくなってきました。結局、洋楽のCDが中国などから相当な安値で入ってくる状況になったときに、輸入権を〈アジアから安値で入ってくる欧米CDを止めるための担保〉にしたいんでしょう。彼らが、洋楽にも輸入権は適用できるという部分を頑なに守っているのも、そういう隠された意図があるんじゃないかと思います。

 これってつまりは、著作権法改正で争点の1つとなった「RIAAとIFPIによるパブリックコメントの主張」がそのまま適用されているということになる。うがった見方をすれば、文化庁は日本の音楽産業を守るというよりは、欧米からの外圧に触発されて動いたという解釈も可能。

 さらに飛躍して、もうちょっと想像力を働かすと、もっと面白い状況が見えてくる。今のまま世界の経済状況が順調に進むと、近い将来、CDをはじめDVD等のソフト製品はすべて中国の工場で作られ、そこから世界中へ各国向けのパッケージに分別されて発送されるというシステムが出来そうな気配だ。もしそうなった場合、中国での製品管理が完璧に行えれば問題はないけど、現状から予測すると、不正な横流し等が発生する可能性も否定できない。中身は本物だけど、流通上は偽物という製品が登場することだってありえる。こういう事態を欧米のメジャーレコード会社は恐れ、日本の政府も気にしているのだろう。たまたま、偽ブランド品や海賊版の話を昨日付けで取り上げたけど、まさにそれ。

 しかし、実際には、少なくとも音楽ソフトに限定するなら、そういう深刻な事態が大々的に発生する可能性は、ほぼないだろう。なぜなら、音楽ソフトの主要な流通は今後数年間でデータ配信にシフトしてしまい、パッケージの需要は急激に落ちる可能性が高いからだ。それが、音楽ファンにとって本当に望ましい状況なのかどうかはまた別の話だけど…。

 コピーコントロール(=著作権保護)の強化が進むほど、パッケージは廃れ、ノンパッケージ化していく。プロコピーライト思想を極端にしていけば、音楽は聴く度に課金ということになる。著作権が消尽されてしまうのを否定した中古ソフト禁止への動きなどを見ていると、正にそれを具現化しようという思想の現れにとれる。

 コピーコントロールが強化されたノンパッケージなソフトって、実は携帯電話で急速に普及している着うたやゲームという形で、すでに予想以上に多くの人が何の違和感もなく受け入れていたりするんだよね。



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